2008年4月

1614年の史料 − 言語学的考察 (?) [4/07]

まずはこちらをごらんください。伊達政宗の家臣支倉常長のスペイン到来に関する、1614 年の史料です。
史料原文は当時のスペイン語なので、ちょっとわかりにくいです。
ACTAS DEL CABILDO HISPALENSE DE 27 DE OCTUBRE DE 1614
CARTA PRESENTADA POR EL EMBAJADOR HASEKURA TSUNENAGA Y EL PADRE LUIS SOTELO ANTE EL CABILDO DE SEVILLA. 27 DE OCTUBRE DE 1614

さて、この中には当然ながら政宗と常長の名前も書いてあります。史料によって表記が若干異なりますが、たとえば
伊達政宗 → Ydate Masamune
支倉常長 (通称六右衛門) → Fascecura Rocu Yemon
のように書かれています。

ここからわかることは何かというと、
まず、「伊達」はこの当時は「ダテ」ではなく、漢字の通りに「イダテ」と読んでいたらしいということです。
その後何百年かの間にいつのまにか「イ」が落ちてしまったのですねぇ・・・。面白いですね。
「ハセクラ」もこの当時は「ファセクラ」だったようです。

この他わかることは、この当時はヨーロッパ言語であっても日本人名を「姓・名」の順で記載していたようだ、ということです。
今のような「名・姓」式の表記はいつぐらいにできたんでしょうねぇ。明治以降なのでしょうか。

昔の史料というのは言葉を探る上でもなかなか面白いものですね。


学生の親離れ・親の子離れ [4/25]

今年の東大の入学式で、学長が「親離れをしてほしい」と新入生、父母双方に自立を促したそうです (→産経ニュース)。

大学の入学式に親が来るというのは・・・私としては信じがたいのですが (私も親もそれは特に望まなかったので)、あるんですねそういうこと。
これは学生が「来てくれ」というのでしょうか、それとも親が「行きたい」というのでしょうか。
親が「行きたい」というのであればまぁ、わからないでもないです、金出してるのは親なんだからその「成果」を確認したいという思いはあるかもしれません。

ただ学生の方が「来てくれ」というのなら・・・困ったものですね。法的な成人年齢は 20 歳ですが、実際には 18 歳から実質的に大人扱いされることが多いのが日本の社会。
まして天下の東大生が親離れできないなどとは信じたくはないものです。
もし親が「入学式を見たい」と言い出したらクールに「見たきゃご自由にどうぞ、でも俺は知らないよ」と返しましょう。

で、入学式であればまぁともかく、入試についてくる親がいるんですねぇ。こっちの方が驚きです。
たまに試験会場に「保護者控え室」があったりすることもあるんですよ・・・
どうせ試験中は (ボクシングのセコンドなんかと違って) そばにいて声をかけてくれるようなことはないのです。それだったら最初から一人で覚悟を決めるべきでしょう。

うちの息子はどうなるかな。
「親がついてくる方が邪魔」と言えるくらいになってくれればうれしいな (ちょっとさみしいかもしれないけど)。

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