といっても、もちろん愛子内親王殿下が変だというわけでは断じてなく、この「愛子様」という呼称が変ではないか? ということです。
だって考えてもみてください、先日ご結婚された清子 (元) 内親王殿下はそれまでずっと「紀宮様」という称号で呼ばれていたのですよ。
愛子様も皇太子の息女としてちゃんと「敬宮 (としのみや)」という称号をお持ちでいらっしゃるのに、そう呼ばれているのを聞いたことがありません。
この「称号」というもの、そもそも何のために用意されているのでしょう。
正確なところは私にもわかりませんが、皇室宗家 (※) の方々のご本名を直接お呼び申し上げるのがあまりに恐れ多いため、ということでしょうか。
現在の天皇陛下には「継宮 (つぐのみや)」、皇太子殿下には「浩宮 (ひろのみや)」、秋篠宮殿下には「礼宮 (あやのみや)」という称号がそれぞれ幼少時にはありました。そしてその本名を知る国民は・・・かなり少ないだろうと思います。
愛子様が称号で呼ばれなくなったのはなぜでしょう。
皇室と国民との垣根がさらに小さくなった証なのかもしれませんが、紀宮様 (当時) を称号で呼ぶ一方で愛子様は本名で呼んでいた、というのは何となく釈然としないものがあります。
これまで親しまれてきたこの「称号」、なくしてしまうのもなんだか寂しいなぁ・・・
そういえば天皇陛下や皇太子殿下は愛子様のことを何とお呼びになっていたかな・・・?
思い出せません。ご存じの方、教えてください。
(※) ここで「宗家」に限定しているのは、称号付与の対象者が天皇の子と皇太子の子に限られているためです。たとえば秋篠宮家の 3 人のお子様には称号がありません。なお、「秋篠宮」「三笠宮」などの宮号は、この称号とは異なります。
「ナオのひとりごと」では、これまでに何度か、聖書の文章に対する解釈について触れています。
といっても、私はクリスチャンではまったくなく、それどころかいかなる宗教に対しても、おそらく私は信徒にはなれません。
なぜなら、神が己に似せて人を創ったのではなく人が己に似せて神 (という概念) を創ったと信じているためです。
その意味では人が神を定めることができる (※) 日本の神道が、私には一番なじみやすいかもしれません。
ただ、神あっての人ではなく人あっての神というのが私の信条ですから、信徒になれないことには変わりないでしょう。
知り合いの中には敬虔なクリスチャンもいたりしますが・・・面と向かい合っては言えないよなぁ、こんなこと (^^;)
(※) 古くは朝廷が菅原道真を神に定めた例がよく知られています。近現代では靖国神社もその例と言えるでしょう。
「この人」とは、「親のいとこ」と「いとこの子」。
呼び名がわかりません。誰か教えてください。
ちなみに、兄弟姉妹の孫のことは、姪孫 (てっそん) と呼ぶそうです。
もちろん (?) 私に姪孫はおりません。「いとこの子」もまだいない・・・はず。
「親のいとこ」はかなり多くて全貌はいまだにつかみきれませんが。