2006年5月17日

自宅出産物語 : その 2

その 1」からの続きです。それでは 2 回目をどうぞ。



<妊娠後期>

妊娠前からといえばそうなんですが、特に後期に入ると腰が痛くなることが多くなりました。マッサージやカイロプラクティックにえっちらおっちら通い、せっせとメンテナンス。

だいぶお腹も大きくなりました。どこからどうみても妊婦です。と思いきや、後ろからだと全く分からないみたい。もうちょっと分かりやすい方が、外出時にはいいと思うんですけどね。急ぐ人や自転車がすれすれのところを追い越していくのが困りました。

仰向けに寝るのは平気でしたが、どうやらベイビーにとっては部屋が狭くなるらしく、ぽこぽこ蹴られました。特に、夜寝ようとするとバタバタと動き出すので、夫に「めっ」と叱ってもらったり。

妻ではなくベイビーを、ですよ。念のため。なぜか私が妻のおなかに手をあてると動きを止めるので、動きが激しいときはよくこうしたものです。私は動きを感じる機会が少なくて、ちょっと寂しかったですけど。

暖かい季節になっても、腹巻とレッグウォーマーと五分丈スパッツは必須です。特にレッグウォーマーは、妊娠前は使ったことなかったけど一度着けたら手放せなくなりました。温めるようになって初めて、いかに足首が冷えていたか分かってびっくり。真夏になってさすがに冬用では辛くなったので、綿のレッグウォーマーに切り替えたり、それでも暑いときは薄手のハイソックスのつま先を切って代用していました。2 月ごろに始めた足湯も続けていました。湯船のひざ下まで熱いお湯を張って入っていると、しばらくして急に全身から汗が出てくるようになります。そしたらお湯をたして、そのままふつうに入浴。けっこう気持ちいいんですけど、時間がかかるので出産した今ではその余裕がありません (泣)。

そういえば運動もしなければ。もともと体を動かさない方なので、なかなかむずかしいんですけど。それにとにかく体が重い。でもまぁ仕事中は、トイレが近いのと喉が渇くのとで、ちょこちょこ席を立っていたような気がします。ももが太くなっていたので、座っていると足の付け根がつっかえて辛いんですよ。他には、マタニティヨガの本を買いました。このときはまだ買っただけ。実際に始めたのは産休に入ってからです。

出産予定日の約 7 週間前に産休に入りました。わーい一日好きなことができるー!と思いきや、腰が痛かったり眠たかったりでそんなにできることはなかったです (涙)。大変だったのはお腹の張り。そんなに張りが強いわけではないけれども、皮がつっぱって歩きにくいので、普段 10 分で歩くところを 30 分以上かかったり。おいおいこのまま生まれたりしないでしょうねぇ (@_@;) と冷や冷やしたこともありました。そういえばむくみもちょっと。あんまりひどくならずにすみましたが。

歩くたびに少しつらそうにしているのが横にいてもわかります。いよいよそのときが近づいているんだな、というのが私にも実感できます。

36 週に病院で受けた検診で、自宅出産のゴーサインが出ました。ベイビーはちょっと小さめみたい。予定日ちょうどぐらいまで出てこない方がいいかな。さて、前々からエコーの度に聞いてるんですけど、この期に及んでもベイビーは性別を教えてくれません。ベビー服どうしようかなぁ。ピンクとか買っちゃうぞ。

名前も決まらないんだよねー・・・男の子だった場合の名前と女の子だった場合の名前の両方をすでに考えてあったのですけれど。やれやれ。

ベイビーが生まれるまでに家中をきれいにしておきたいなぁと思い、予定日まであと 3 週間というあたりからちょっとずつ掃除を始めました。母から「トイレをピカピカにしておくとかわいい赤ちゃんが生まれる」という言い伝えを聞いていたので、毎日とはいきませんが、いつもよりまめに掃除を。あと、普段はほったらかしの大物洗いをしたり、エアコンやカーペットのクリーニングを業者に頼んだりしてました。

10 か月に入ったとたん、お腹まわりが急に大きくなったような。ある日気がつくと、おへその下に赤い線が 2、3 本。これがうわさの妊娠線ですな。まあいいかこのくらい・・・と思っていたら、あっという間に 20 本 30 本、メッシュのようにピピピッと線がたくさんできてしまいました (!)。あらららら。でもまあいいか、このくらい (泣)。

そうこうしているうちに 40 週になり、予定日超過で再び病院へ。検査をしてみると、ベイビーの心拍が 1 回だけ弱くなっている模様。おーい大丈夫? (@_@;) そろそろ生まれてくれないと、胎盤が古くなっちゃうよ。もう 1 週間だけ様子をみて、それで陣痛がこなければ入院だって。40 週に入ってからは、それまで「まあだだよ」と話しかけていたのを「もういいよ、早く出ておいで」に。

このとき私も少し不安になりました。妻はあまり体が丈夫なたちではありませんので、「正常」の範囲内での出産ができないと大変なことになりそうな気が。でももうここまできたら、あとは「絶対うまくいく」と信じるしかありません。


<出産>

何事もなく 1 週間が過ぎてしまいました。ときどき「じわーん」とお腹に痛みがあったけれど、これって陣痛じゃなくて前駆陣痛っていうのかな? お産ってどのくらい痛いのかなぁ。何時間くらいかかるんだろう? たまごクラブやブログにあった他の人の出産体験記で予習してました。でもイマイチ実感がわかないなぁ。

そんなとある朝、トイレでおしるしを発見。そろそろかな? その日は「じわーん」が何度も来てました。で、午後 3 時ごろ、洗濯物を畳んでいたら、「あたたたたたっ」とお腹に痛みが。きたーーーっ! これ陣痛だよね?

家にいた夫に頼み、さっそく間隔を測ってみることに。10 分だったり 20 分だったり、まだ規則正しくはなっていないみたい。でも、痛いよー。陣痛が来たときは、ただひたすら息を吐きながらじっとしてました。

午後3時ちょうどの前駆陣痛のあとは、10〜20 分ぐらいの間隔で前駆陣痛がきていました。17 時 50 分以降は 9〜10 分に。本格的に間隔が短くなったのは 20 時 7 分以降。助産師さんを呼んだのはこのあたり。自分では気づきませんでしたが、電話では結構あわてた口調だったようです (助産師さんが後でそう言ってました)。そんなすぐには生まれないだろうとは思いつつも、妻のあのうめき声を耳にするとやはり不安になります。

この日の夜の記憶はあまりありません。痛かったのと、助産師さん 2 人が来てくれたのと、ずーっと息をふーっと吐き続けていたのだけ。気がついたら夜が明けていて、子宮口が全開大になったらしい。お、そろそろいきめるのか? 生まれるのか?

教わったとおりいきみはじめます。最初はなかなかうまくできなかったような気が。夫にはずっと横にいてもらって、手を握ってもらいました。助産師さんたちは、せっせと私の体をさすったりなどしてくれました。それにしても、いきみ終わった後の腰の痛みは陣痛より痛かった・・・。腰がくだけるとどこかで聞いたのはこのことね・・・。あまりにも痛いので、さすってほしいところを説明するのも「腰! 下! 左!」とか単語だけで。

それでも食欲はあるんですねぇ。陣痛の合間には何事もなかったようにおかゆや桃をぱくぱくと。後半になってくるとさすがにウィダーインゼリーを飲むのがやっとでしたが。

ここまでくると私にできることはあまりありません。上で妻が書いたように、横で手を握っているか、食事を作るか。なんとか身の回りのことを整えるぐらいです。しかし本当に食べるときだけは「何事もなかったよう」な顔で食べるので、何だかおかしかったです (^^;)。でも、確か最初は「朝ぐらいには生まれるかな」と言われていたはずだったのですが、夜が明けても、日が高くなっても生まれてきません。どうやら長期戦の模様です。

確か、午前 10 時ごろに破水したのではなかったかな。お、今度こそ生まれるの? 姿勢を変えたり、トイレでいきんでみたり、いろいろ試してみたけれどなかなかお産が進みません。このころには、体が硬くなってしまって自分で足を広げることができなくなっていました。動くのにもものすごく気合が必要で、1 メートル移動するのに何分かかっていたのやら。夫に呼ばれてうりゃ!と起き上がったときは、歓声があがってましたね。夫や助産師さんたちにつかまって、とにかく一生懸命いきみ続けていました。

そうそう、私の呼びかけにこたえて妻が起き上がったことについて、助産師さんたちが「いやーまさか本当に起き上がるとは」って言ってました (笑)。このときはまだみんな気持ちに多少の余裕があったように思います。

午後 5 時ごろ、頭が見えてきました。と言っても、自分では確認できなかったんですけどね。かがもうにも手で触ろうにも、体が言うことをきかなくて。なので、デジカメで撮ってもらって確認。おー、髪の毛が生えているよ。早く出てきてちょうだいな。いきむ度にベイビーの頭が出てきて、いきみ終わるとしゅるしゅると中へ戻っていってしまうという繰り返しに、毎回がっかりしてました。あれー、いつまでかかるのかなー?

夜も遅くなり、あまりにも長いことベイビーが出てこないので、だんだん弱気になってきました。2 晩連続徹夜なんてことになったら絶対耐えられない。いきむ合間にドップラーを体に当てられるのさえ、かなり苦痛になっていました。あー無理もう無理ぜったい無理〜。どうしよう? もう半泣きです。助産師さんや夫になだめられ、なんとかもうちょっと頑張ろうと思い直したのでした。

私もこのとき、自分が生まれてくるときに、長時間の陣痛の末、最終的には「これ以上は無理」と医者に判断されて吸引分娩で生まれてきたことを思い出し、不安がよぎりました。本当に自宅出産でよかったのだろうかと、自分の決断を一瞬疑ったのもこのときでした。

心の中では、「こら、はよ出てこんかーい!」とお怒りモードに。言葉にこそならなかったけど、「うおりゃー!」といきんでました。すると、相変わらず出たり入ったりを繰り返しているベイビーが、お腹の中で一瞬激しく暴れました。けっこう高い位置で蹴られたので、「おいおい、足はまだそんなとこにおるんかい!?」とびっくりするやら呆れるやら (@_@;)。後で思えば、このときベイビーは苦しがっていたのかも。助産師さんたちもなんか急にあわただしくなってきて、私が痛がろうと何だろうとかまわずに私の体の向きを変えたり足を広げたりして、バタバタしているうちに、ずるずるっとベイビーが外へ出てきました。生まれた!

その一瞬、妻はいままでにない大きな叫び声をあげました。「なんだ!?」と思っていたら、次の瞬間、助産師さんが「午後 10 時 53 分」と時刻を告げました。ん? 生まれたのか? 私は妻の枕元にいたので、その瞬間のベイビーの姿は見えませんでした。

ふう〜。今まで痛かったのが嘘のように、すーっと引いていきました。そして、ふと気がつくと、あれ? ベイビーが泣いてない。まぁでも大丈夫かな? さらに気がつくと、どうやら救急車を呼んでいるらしい。あれれ?

数秒たっても泣き声が聞こえない。これは大変だ!というのは素人目に見ても明らかでした。助産師さんの一人は救急車を呼びにいき、もう一人は人工呼吸と心臓マッサージを始めました。助産師さんに「二人とも、名前を呼んであげて!」と言われたときの私の第一声が「男の子? 女の子?」(苦笑)。この非常時になんともすっとぼけた問いでしたが、「男の子」との答えに、すでに用意していた名前でこの子を呼びました。・・・今思えばこれが「太郎殿 (仮名)」の命名の瞬間でした (^^;)。

小さく断続的な発声はときどき聞こえていましたが、まとまった泣き声がなかなか聞こえません。ようやく赤ん坊らしい泣き声が聞こえてきたのは、救急隊からの電話を私が受けているときでした。

太郎殿が息を吹き返して、弱々しいながらも泣き声をあげました。ほえあ、ほえあ。初めてのだっこ。あー、動いてる。おかあさんだよ、わかるかな? がんばれー!

救急隊到着。へその緒を切った上で (本当は私がやるはずでしたが、それどころではありません)、まずは私が太郎殿を連れて救急車に乗り込み、病院へ。車内の太郎殿はほとんど泣いていませんでしたが、目はしっかりと開いて私を見つめ、ときどき小さなあくびをしていました。非常におぼつかない抱っこでしたが、このときようやく、自分に子供が生まれたのだと少し実感しました。でもこのときはまだ「この子は大丈夫だろうか」との不安の方がはるかに大きかったです。

検査の結果、太郎殿はしばらく入院が必要、ということに。命に別状はないようで、まずは一安心。体中の力が抜けるような感覚を覚えました。そこでようやく、妻のことを思い出しました (笑)。

救急車で太郎殿が運ばれていった後、私も別の救急車で病院へ。分娩室で胎盤を出してもらった後も、経過観察のためしばらくそのまま横になってました。途中、夫がやってきて、太郎殿の様子を説明してくれました。あ、今日は太郎殿は帰れないの? え、入院? でも、命に別状はなさそうで良かった良かった。おなかが空いたので、おにぎりを買ってきてもらってぱくぱく (笑)。

分娩室から車椅子で NICU (新生児専用集中治療室) へ。太郎殿は保育器の中で横になっていました。先生がライトをつけると、まぶしかったらしく大粒の涙を流してわんわん泣きます。あ、生まれたてでもこんなに涙がでるんだなぁと妙なところで感心しました (後で聞くところによると、出生直後は普通そんなに涙は出ないものらしいのですが・・・どうなんでしょう?)。手に触れると、指をぎゅっと握り返します。握手、握手 (*^−^*)。

これは私もやりました。そしてようやく父親としての実感がわいてきました。近いけど遠い所にいる太郎殿。「数時間たって呼吸が落ち着かなければ、酸素吸入器をつける」と言われたときには不安でしたが、出生まで 27 時間近くの時間を耐え抜いた太郎殿の生命力を信じるしかありません。後ろ髪を引かれる思いで、NICU を出ました。

太郎殿を病院に残し、大人たちは帰宅しました。いつのまにか部屋がものすごく片付いていてびっくりです (助産師さんたちに感謝!)。もう朝の 4 時。とりあえず寝るとしますか。

(続く)


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