2004年6月21日

佐世保の事件に関して (1)


あんまり偉そうなことを言えた立場ではありません、実は。
ネットではありませんが(私が子供のころそんなものなかったし)、子供の頃に似たようなことをされた経験はありまして、事態打開のため暴力に訴えようとしたことも一度ならずあるもので。
ただ、まあ、凶器は使わなかったし、結局のところ殴ることも蹴ることもできず突き飛ばしてるだけでした(もっともそれで相手が転んで歯がちょっと欠けてしまったということがありましたが)。

実はその当時、剣道をやってました。あれ、防具をつけてるから打たれても痛くないように見えるんですけど、実は相当痛いんです。腕なんかにはアザが絶えませんでした。
ひょっとしたら、そういうときの「打たれたときの痛み」を考えてしまって、殴ることも蹴ることもできなかったのかもしれません。

「打たれたときの痛み」、「傷つけられたときの痛み」。そういうものを、本当は大人がちゃんと子供に教えないといけないわけですが・・・。
痛みを教えるのはむずかしいことです。言葉で伝えるのは簡単ですが、実際どのくらいの痛みなのかは、自分がその痛みを体験しない限りわからないのです。
もともと、「叩いてしつける」というのはそういう意味で行われていたはず、と思うのです。最近はそういう行為についてはあれこれとうるさくなってきたのでやりにくいのですが、本来の意味をふまえた上で、加減も考慮しつつ、場合によってはとりいれるべきではないかなぁと思います。(今回の事件も、行為者が大人でなく子供ですが、そのあたりの加減ができなかったために起こったもの、という考え方もできるかもしれません。むずかしいことですが、大人でも加減できないものを子供が加減できるわけはありません。大人になってからも日々精神の修練が必要なのです)

まして、それが命にかかわることだと、教えるのは相当むずかしいことです。もちろん「実際に自分の命をなくしてみる」などとは言えるわけはないので、人の命を奪うということがどういうことなのかを知るには、実際に他の人の命がなくなる様子を目の当たりにしてみるしかないのかもしれません。しかし、命がなくなる瞬間というものを目の当たりすることは(特に最近では)そうそう滅多にあるものではありません。
私自身、「命がなくなる瞬間」に立ち会ったことはありませんが、葬儀・採骨の経験は16歳のときが最初で、現在までに4回経験しています。その場にいた子供が、白いかけらになってしまった故人を見て泣いていたこともあります。あの子たちにはその涙をぜひ忘れないでもらいたいものです。
自分の子供も(まだいませんけど)、人が現実に死ぬというのがどういうことか教えるために、そういう場にはできる限り立ち会わせたいと思っています。

もうひとつ書きたいことはあるのですが、予想以上に長くなってしまい、多分読むほうも書くほうも気が滅入ってくると思うので、それはまた次回。


まさか!?


現在、スペイン旅行記が掲載されています。このスペイン旅行の番外編、ということで少し書き綴りたいと思います。

成田空港へ行く方法というのはいろいろありますが、私は京成線の「スカイライナー」を使いました。
JRで日暮里駅へ行き、そこで京成線に乗り換えるのです。

ところがJRの日暮里駅、スカイライナーとの直接乗り継ぎができる唯一のJR駅であるにもかかわらず、なんと構内にエスカレーターがない! おいどうすんだよこの荷物・・・(涙)
まあ、持ち上げて運べる程度の重さだったので事なきを得ました。ちなみに京成日暮里駅にはちゃんとエスカレーターがありました。

まさかと思うけど、「京成への乗り継ぎは不便だよ、だから(JRの特急)成田エクスプレス使ってね」っていうJRのいやがらせ的戦略じゃないだろうな。
だって高いんだよ成田エクスプレス・・・(T-T)

頼むからあの日暮里駅、エスカレーターなりエレベーターなりどこかにつけてくれないかなぁ。
次の海外旅行なんて何年先だかわからないけど・・・


こんなところでぼそっと警告


上にも書いたスペイン旅行記のページに、「おまけ」というのがあります。
ここにある「ちょっとしたスペイン語教室」の項に、質問文がいくつか登場します。

注意していただきたいのは、質問に対する答えの方は聞いてもわからないかもしれない(笑)ということです。
現に、「¿ Dónde está el baño ?(トイレはどこですか)」を初めて妻が使ったとき、「¡ Al fondo !」と言われてその意味がわからず当惑していました。
ちなみにこれは「そこのつきあたり」という意味です。


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