心技体。あまり説明する必要はないですね。心と技と体。そのまんまです。
といっても「そのまんま」と言えるのはスポーツや格闘技の場合。
これを普段の社会生活の心得としてとらえるとどうなるでしょうか?
「体」は一番の基本となる知識や経験、といえるでしょう。
「技」はそこから発せられる行為や発想の数々を表すものですね。
「心」は、その「技」を発するにあたってこめられた精神。これはスポーツや格闘技の場合と同じです。
放たれた「技」がどのような効果を発揮するかは、かなりの部分が「心」に負っていると思います。
たとえば、技だけがすぐれていても、心が負けていればその技が威力を発揮することはないわけです。
逆に「とにかく相手を叩きのめすことしか考えていない」のでは、3月15日号の最初のひとりごとに書いたような理由で、その技の効果はやはり発揮できないと思います。
・・・何が言いたいかといいますと。
豊富な知識や経験、すぐれた論点を持つ人でも、心を正しく持たなければ、それが認められることは決してないということです。
「天才が世に認められない」理由の一つには(必ずとはもちろん言いませんが)こういう人間の内面に関わる要因があるのではないでしょうかねぇ。織田信長なんかそのいい例でしょうし、映画「アマデウス」のモーツァルトなんかも・・・。
で、こういう人たちも逝去後は当然その実績だけが残るわけですから、それでやっと評価してもらえるようになるわけです。
「どうして認めてくれないんだ!」とお嘆きの方は、ぜひ一度自分の現状を見つめてみてください。
何か思いあたることは、ありませんか?
・・・ん。人のことを言っている場合ではなかった。では自分も黙想・・・ (-_-)
先日、都内某所で友人たちと花見をしました。
そこでなんともすさまじい出来事がありました。
トイレから戻ってみると、我々の陣地のすぐ横で男性が倒れているのです。
「これは一体何事??」
「なんかねー、そこを歩いてていきなりパッタリ倒れこんだのー」
「そこ(隣で花見をしていた見ず知らずのグループ)の人とかいうのでもない?」
「んー、ホントにただの通りすがりの人」
しばらく様子を見ていましたが、まったく動く様子がありません。これはマズイ。
我々と隣のグループとで、その人を取り囲み、「もしもし?もしもーーし!!」と呼びかけますが、反応はありません。
呼吸はちゃんとしているのですが・・・
しばらくして、男性のポケットに携帯電話があるのを発見。
失礼を承知で携帯電話の電源を入れ、登録されていたプロフィールから氏名を特定。
さらに、「一人で来ているはずはない」と、通話やメールの履歴をもとに連絡を取ろうとするも、同行者はついに見つからず、しかも家族は東北地方某県という遠隔地にいることも判明。一同ちょっと途方にくれました。
しばらくすると男性が嘔吐を始めました。そのころにようやく通りがかりの警備員をキャッチ、通報しました。
救急車が到着する直前に男性はようやく上体を起こし、まずは一安心。
搬送後、隣のグループは嘔吐の跡に土をかけて隠し、そしてこちらが持ってきた新聞紙をその上にかぶせておくという連係プレーが行われたのであります。
噂に聞く急性アルコール中毒だったのでしょうか。花見を楽しみに来ていたでしょうに、お気の毒なことです。
みなさんも花見の際はお体をくれぐれもお大事に。
夏にスペイン旅行へ行こうと考えているのですが、航空券の予約がとれた直後にマドリッドでの列車爆破事件が発生しました。
犠牲者のみなさまにつつしんでお悔やみ申し上げます。
現場の一つ、RENFE(スペイン国鉄)のアトーチャ駅は、前回のスペイン滞在('96)でも憩いの場として活用していただけに少なからずショックでした。
私たちが現地に着くころには、すべてが平和でありますように。