2003年1月12日

親ぬゆしぐとぅ(うやぬ・ゆしぐとぅ)


これは「親の言うこと」を意味する沖縄語(ウチナーグチ)です。「ゆしぐとぅ」は多分「寄せ言(よせごと)」から来ているのでしょう。この言葉は有名な沖縄歌謡「てぃんさぐぬ花」に出てきます。

 てぃんさぐぬ花や 爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ
 親(うや)のゆしぐとぅや 肝(ちむ)に染(す)みり
   [ほうせんかの花(から作った染料)は爪先に染め、親の言うことは心に染めるものだ]

・・・ええ、まあ、その通りです。親の言うことというものは肝に銘じておくものではあります。
しかし!だからといって全国の親のみなさま、調子に乗ってはいけませんぞ。
子供というものは「親の言うことを聞く」以上に「親のすることを見る」ものです。
言うことばっかり偉そうにしていて、自分の行動が全然伴わなければ、子供は従いません。

親の言い分として「誰がここまで育ててやったと思ってるんだ!」というセリフをよく聞きます。
しかし、考えてみてください。食わせてやればそれで十分、というのでは、扱いがペットと変わらないという意味です。親子って、そういうものですか??
さらに、それは「子供が独立して扶養関係が消滅してしまえば、親子の間には何も残らない」ことにもなります。

親の務めというのはもう一つあります。子供に対して生き方の手本を示すことです。
しつけとして子供に「ああしろ、こうしろ」と言うのも重要ですが、子供に対して言っていることを自分が全然実践しないのでは、子供は絶対についてきません。「親として」の前に、「人として」信じてはもらえないのですよ。
特に、「注意されても文句を言うな、注意されるような事をするのが悪い」と言っておきながら、自分が子供に非をとがめられたときに「うるさい!生意気いうな」と親の権力でねじふせるのは、親として最悪です。

また、自分がよかれと思ってしていることが、子供の目にどう映っているかというのも、重要です。
「お前のためを思ってしているのだ」といくら言ったところで、それが実際に子供のためになったかどうかという「結果の反省」をしないと(そして「実は失敗だった」という結論が出たときには素直に謝らないと)、子供にしてみれば単に親の自分勝手に振り回されただけ、という印象しか残りません。

子供がなかなか従ってくれないとお嘆きの世の親御様、まず自分のこれまでの言動について、上に書かれた内容に心当たりがないかどうか、今一度見つめ直してみてください。
これを書いている時点で私にはまだ子供はいませんが、子供が生まれたらこれらのことを常に念頭においた子育てをしようと今から決意しています。

・・・なんてことを、とある夜に妻と熱く語り合っていたところ、午前2時くらいまでかかってしまいました。
翌朝はちとつらかったです。やっぱりものには限度ってものがありますねぇ(笑)


ちなみに、「てぃんさぐぬ花」の歌詞には、冒頭に出てきたような「親の恩の偉大さ」を歌う部分が多いのですが、こんな歌詞もあります。

 宝玉(たからだま)やてぃん 磨かにば錆びす [宝石でも磨かなければ錆びる]
 朝夕(あさゆ)肝(ちむ)磨ち 浮世(うちゆ)渡ら [毎日心を磨いて生きていきなさい]

おそらくは、「怠惰な生活を送ってはいけない」という、親から子に対する言葉なのでしょう。
しかしこれを「親の地位や権力に安住せず、子から尊敬される親であるよう、日々精進しなさい」という、親である者に対する教訓と見ることも、できないでしょうか。


いつもは「ひとりごと」は一度に三本お送りしていますが、今回はこのネタで力を使い果たしたので(笑)、この一本だけです。
今日は成人の日なので、これから親となってゆく新成人にも向けたメッセージということで(←ただのこじつけ)。


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